こんにちは、KOYAです。
以下のツイートをしました。
過去含めプロが2〜3年でラケットのコスメチェンジしたのを全網羅してリストアップした記事はテニスファンは見ていて面白いですよね。
高校生の頃片手バックハンドのフェデラーと彼の使う90インチラケットに憧れていまして、たぶん需要あるので彼の歴代使用モデルを記事にまとめてみようと思います。
@人生はコンテンツ ( ) February 15, 2019
高校生の頃片手バックハンドのフェデラーと彼の使う90インチラケットに憧れていまして、たぶん需要あるので彼の歴代使用モデルを記事にまとめてみようと思います。
記事作成の動機はTweetの通りです。
僕がブログを開始する前から6年くらいほぼ毎日テニスの情報をネットで見ていましたが、「フェデラーの歴代使用ラケット」を満足に完全網羅したサイトはどこにも見当たりませんでした。
でも、僕と同じようなフェデラーファンはきっといるはずで、かつ彼の歴代使用ラケットに関しても情報を完全網羅してるサイトを見かけたらきっと興奮する人がいるはずで、、、。
※少なくとも高校生の頃の僕だったら飛んで喜んでいました。
過去の自分にも向けて、今回は黒に始まり黒で落ち着いているフェデラーのプロ転向以降のラケットと使用当時の動向を完全網羅で解説していきます。
この記事を読むとわかること
▪︎フェデラーのプレースタイルの経年変化
▪︎ナダルとの年ごとの対戦状況変化
▪︎年ごとの時代背景
「昔はいいから、最近の動向を知りたい!」というあなたは、適当にスクロールして下の方を見てから、興味があったら上の方も見てみてください。
「フェデラー・ナダルの初対戦時の特集」なんかも余談として書いています。
それでは内容に入りましょう。
全てはここから始まった「PROSTAFF MID」
出典:All the rackets Roger Federer used during his career (PICS INSIDE)
1998年にフェデラーがプロ転向してから2001年までの3年間にわたって使っていたラケットです。
使っていたのは憧れであるサンプラスの影響もあるでしょう。
プロスタッフミッドはジミー・コナーズとウィルソンの共同製作ののち、エドバーグ→サンプラス→フェデラーと歴代レジェンドたちを虜にしていきます。
今ではありえないですが85インチでして、このころのフェデラーはサーブ&ボレーを多用する選手でした。
2014年にエドバーグと組んでボレーを多用し始めたのは新たなチャレンジのように思われがちですが、もともとフェデラーはサーブ&ボレーヤーで、ボレーが得意です。
どちらかというと2004年くらいに「ベースラインでも勝てる」と気づいたからストロークが増えた感じです。
2001年にウィンブルドンでサンプラスを破った伝説の試合の頃もまだサーブ&ボレーをしていました。
当時はセントビンセント製か中国製かで打感が大きく違かったらしく、「セントビンセント製しか使いたくない!」と唱える人も多くいたそうです。
素材としてはウッドラケットを卒業したのはもちろんなのですが、「ケプラー」を織り交ぜていたのが特徴で、これにより打感が圧倒的に良かったようです。
2014年の(フェデラーは使いませんでしたが)「プロスタッフ90」にてケプラー使用は復活しました。
防弾ジョッキなどにも使用される「ケプラー」と今やウィルソンの代名詞でもあるPWS(※)が搭載されたのが特徴です。
※PWS…「周辺荷重機構」、フェイスの3時と9時の出っ張り。面ブレを抑制する
今でこそ使っている人はほぼいなくなりましたが、これより打感がしっくりくるラケットはなかったらしく、2012年くらいまではまだおじいさんなど使っておられる方いましたね、、。
以下にプロスタッフミッドの特徴をまとめます。
▪︎フェイス:85インチ
▪︎フレーム厚:17mm
▪︎ケプラー使用、PWS搭載でこの上ない打感とコントロール性能を提供
▪︎ジミー・コナーズとウィルソンの共同製作、往年のレジェンドが使用
フェデラーの台頭:「HYPER PROSTAFF 6.1 90」
出典:All the rackets Roger Federer used during his career (PICS INSIDE)
「HYPER PROSTAFF 6.1 90」はフェデラープロスタッフミッドの後が2002年に使っていたラケットです。当時21歳。
「HYPER」は新しく素材に混ぜられた「ハイパー・カーボン」からきています。
今でこそラケット素材の技術革新は各社落ち着いていて、どの年のラケットを買っても変わらない感じですが、当時はテクノロジーが日進月歩で進化していました。
この時にのちのフェデラーの代名詞となるシックス・ワンにつながる”6.1”というキーワードが登場したのですね。
カラー的にも「黒、赤」と後々のプロスタッフにつながるカラーリングです。
また、フェイスが85→90インチになりました。
ここから2013年までフェデラーは90インチのラケットを使いい続けることになります。
まだグランドスラムは初優勝できておらず、「大器晩成」とはフェデラーのためにあるような四字熟語なのですが、同期のヒューイットなどと比較すると「遅れをとっている」と見られていました。
今ではそれがどんなに使うのが難しいラケットだとしても「フェデラーモデル」のラケットは日本で発売され、売れますが、当時のフェデラーモデルは日本未発売でした。
「大器の覚醒」:PROSTAFF TOUR 90
2003年に入り、次にフェデラーは「PROSTAFF TOUR 90」を使い始めました。
デザイン的には「プロスタッフMID」を彷彿とさせますが、フェイス内の黄色の面積が大きいです。
2001年のウィンブルドンではサンプラスを破るものの優勝できませんでしたが、2003年ついに後の「芝の王者」がウィンブルドンで優勝します。
その他年末のマスターズ(当時はまだロンドンではなかった)でも初優勝しています。
世界ランキング2位まで登ってきました。
このラケットは当時32歳となり勢いのなくなってきたサンプラスが「もう一度グランドスラムタイトルを取るために、、、。」とスロート部にまでこだわって作ったラケットでしたが、結局彼は使用することなく引退しました。
スロート部は片手バックハンドを打つ際スロートを触る左手の感触にこだわったもので、ラケット表面の感触に2017年の「ベルベット・ペイント・コーティング」でフェデラーがこだわりを見せたのも、この時のサンプラスの影響がありそうですね。
基本的に現在の「プロスタッフ」はフェデラーとウィルソンで決めたコスメをウィルソン契約選手皆使っていますが、当時はサンプラスとウィルソンで共同開発したラケットをフェデラーも使っていました。
※たぶん、順当に行くと次はディミトロフが「プロスタッフの系譜」を引きつぐのかな。
余談ですが、フェデラーの凄さって「変化できる」ところにあると思います。
サンプラスはフェイス面積100、黄金スペックの「パワーテニス」時代に頑なに適応しなかったけれど、フェデラーは2012年にロンドンオリンピックを逃すと「時代の波」に迎合する姿勢を見せます。
その後、2014年に本当にラケットを変更したり、ボレーを再度導入したり、2017年に「ネオバックハンド」を習得するなど、「トレンドを作ってしまう」のが、彼が第一線で長く活躍できていることの理由の一つです。
この「時代の波乗り」能力は我々も見習わなくてはいけません。
「フェデラーの時代」:n Six.One TOUR 90
フェデラーといえば、前髪を左右に振り分けたエレガントなヘアスタイルを想像する方が多いと思いますが、このころまでは髪型がポニーテールです。
2004年のツアーファイナル時、後の妻であるミルカさんの意見で突然髪型を変えるのですが、この「nSix One」を使った2004-2006年の3年のうちの1年ですら実はまだポニーテールだったのですよ。
この「nSix One」を使っていた2004〜06年の頃がそのままフェデラーの黄金時代でありまして、この頃から日本でもフェデラー人気が出てきました。
むしろ、なので2004年よりも前からテニスをやっている人とかだとあまりフェデラーファンは多くなかったりします。
ウィルソン的にも「時代はフェデラー」だったので、エドバーグやグラフ、サンプラス世代の象徴であった「プロスタッフ」をサンプラス引退とともにやめ、新たに「シックス・ワン」を前面にブランド化させていました。
この頃からフェデラーは「ベースラインでも十分勝てる」と確信したようで、不用意にネットをとらなくても神がかったフットワークとフォアハンドで圧倒的すぎる強さを見せつけていました。
ラケットでいえば、市販のものと実際にフェデラーが使っているものでは横糸のPWS周辺の荒さが本物のフェデラー用のプロストックは市販品よりも荒かったなどの話が残っています。
あと、のちの[K]シリーズや[BLX]シリーズよりもこの頃の[n]シリーズの方が打感が柔らかかったそうで、デザインはともかく、打感で人気がありました。
同世代のヒューイットやロディックに対しても圧倒的なフォアハンドのパワーと打ち分けで圧倒し続け、世界ランクは安定の1位に。
余談:この頃の対ナダル戦
フェデラー・ナダルの初対戦
ナダルが台頭してきたのもこの頃です。
2人は2004年のマイアミで初対戦するのですが、、見たら絶対驚きますよ。
フェデラーは今では考えられないほどナダルのバックハンドを攻略できていますし、ナダルが全然バギーホイップ(リバースフォアハンド)しないですし、ネットに猛進している、、、。
フェデラーのフォアの「一発」だけでラリーが強制終了されますし、ナダルのストロークの主体がスピンではなく、この頃はフラットでした。
というか10代ナダルさんボルトより足速いのではないでしょうか。こんな速い人見たことないですm(_ _)m
2005年は相変わらずフェデラーのフォアハンドが引くくらい強力すぎまして、、フェデラーに一発逆クロスを打たせたら、クレーのナダルでも触れないという感じでした。
しかし、ナダルも人外のパッシングマシーンでして、フェデラーのアプローチをことごとく玉砕します。
フェデラーもあまりにクレーナダルが強すぎてフラストレーションが全身から出ていましたね、、、。全仏2005の時などは負けてもナダルより後に審判と握手していました。
2006になりナダルはようやくリバースフォアハンドと高い軌道のゆったりペースのストロークが主体となりますが、最初の頃はフェデラーにドライブボレーされまくっていました。
そのうち、フェデラーも弾道上げたりも試していて、、なんかこの頃は互いに試行錯誤していましたね。
そして、余談すぎかもですが、、全仏2006年もナダルに促されなければフェデラーはナダルの後に主審と握手しようとしてましたね。。この時はエドバーグに準優勝の盾をもらったはずですが、表情はかなり険しかったです。
「残るタイトルはローラン・ギャロス」[K]Six.One TOUR 90
出典:All the rackets Roger Federer used during his career (PICS INSIDE)
「[K]Six.One TOUR 90」はフェデラーは2007-2009年の3年間使ったラケットです。
相変わらず全仏だけはナダルに優勝を阻まれタイトルが取れないのですが、、、。
とはいえ、圧倒的な「フォアハンドのキレ」でサーフェスを問わずあまたのタイトルを獲得。
名実ともに「史上最高」のプレーヤーになります。
ただし、「フェデラーの黄金時代」であった2004〜06年と比較すると、2008年は体調不良に悩まされたりなど、(それでも人外の武なのですが、)本調子ではない感じでした。
2008年は年始の全豪から体調が悪く、なんとかジョコビッチ相手に善戦するも敗北、ローラン・ギャロスではナダルに完敗し、なんとその勢いままにウィンブルドンもナダルに死闘の末取られてしまいました。
※2セット落としてマッチポイント取られてからでも挽回できるフェデラーの集中力に、「人間は極限の場面でここまで力を発揮できるのか」と恐怖と尊敬を抱かざるを得ない試合でした。
たぶん前にも先にもここまではないであろう、鳴り止まない「ROGER!」コールも素晴らしいですね。
▲2008年ウィンブルドン決勝vsナダル戦。
これは余談ですが、最近はグランドスラムが公式でYouTubeを上げてくれるようになったので、素晴らしい時代です。
[Pick up] 2007年全仏
この年もナダルに結局負けてしまうのですが、2004、05のローラン・ギャロスでの敗戦が相当悔しかっらのであろう、フェデラーはかなりクレー用、ナダル用に弾道、打ち方を改良していました。
ただ、ナダルのトップスピンがもはや言葉の通り「異次元」に到達しているだけでして。
この年の前身使う感じの打ち方がのちの2009、2011年クレーシーズンなどにも生きてきている感じです。
「[K]Six.One TOUR 90」の性能は?
このラケットは実際に僕も使っていたのですが、とにかく硬派なラケットです。
ちゃんと振った分だけしか飛びませんし、パワーアシストは完全に「無」です。
極上のフィーリングとコントール性能で狙ったところに飛んで行きますが、とはいえ現代において我々が使っても、「勝てるラケット」ではないでしょう。
このラケットのプロストックは「もう少し飛ばしやすい」との声もありますが、とはいえこれを使って数々の勝利を取ってきたとか、、化け物ですか。
念願のフレンチオープンタイトルを獲得
そして、2009年ようやくナダルが全仏で黒星をつけられ、「キャリア・グランドスラム」を達成することができました。
あんまり「ナダルが負けたおかげで」とは言いたくないですが、、とはいえ認めざるを得ない事実でしょう。
※ロビン・ソダーリングも病気さえなければ今では誰もが知る有名選手になっていたでしょう。彼が2009年の全仏ナダル戦で示したナダル攻略法(ナダルの弾筋の最高打点からフォアもバックもフラットに打ち抜く)はたぶんジョコビッチもフェデラーも分析して取り入れたと思います。
すごいのは、「ナダルがこけさえすればたとえクレーであってもタイトルをいつでもとれる」位置にいたことでして、「フェデラーはクレーが苦手」と言われますが、ナダルが強すぎるだけで、この頃のフェデラーは十分クレーでも強いです。
ラケット販売の裏事情
「ハイパープロスタッフ」などの2002年、2003年ごろのラケットが1年くらいで次のラケットに変更していったのに対し、[n]シリーズ以降は3年おきのロングスパンでモデルチェンジしつつ、深く売り込んでいくという販売戦略となっています。
今(2019年)はわりとジャンジャン新コスメを出して、モデルチェンジして、売り出していこうという「量で勝負」戦略なのですが、わりと技術革新の落ち着きで「モデルチェンジしても中身が変わらない」ことも関係していると思います。
例えば、錦織選手が「BURN」から「ULTRA」に変わってコスメチェンジしましたが、シリーズの枠組みが変わっただけで言ってしまうと「BURN95」も「ULTRA TOUR 95」もほぼ同じですよ。
マレーも何年か前に「ここ10年中身は全く同じラケットを使い続けている」と答えていました。
「感情と論理を切り離していた」:Six One Tour 90 BLX
フェデラーは2010-2011年の2年間、次に「Six One Tour 90 BLX」を使います。
ラケット的にいうと、「BLX」は「前作の[K]シリーズよりかは柔らかかったけれど、、とはいえ[n]シリーズよりかは硬い」という評価が一般的でした。
ナダルとジョコビッチの台頭で徐々に優勝回数も減ってきて、「フェデラーの時代は終わった」や「引退はいつか?」などと記者に悲観的な記事を書かれることも多くなりました。年齢も30歳ごろです。
このラケットでは結局2009年の全米に続く2010年の全豪で優勝できた以外はグランドスラムタイトルから遠ざかり、フェデラーにとっても「苦しい時代」の幕開けとなりました。
2011年も2002年以来となる「グランドスラム無冠」の年として終わります。
2011年ごろの時代背景
この頃のフェデラーは怪我もなく、確かに30歳ですが、とはいえ十分動けているのですが、とはいえ6歳年下のジョコビッチがあまりにミスらなく、かつバックハンドも得意でロボットみたいに返球してくるので、次第にジリ貧となる、、、という感じです。
それまでのフェデラーと比べると年齢による落ち着きなのか、「感情」をあまりプレーに出さなくなり、淡々とテニスしているように見えました。2017年以降の方が素直にテニスを楽しめているように見えるのも、たぶんそんな的外れな見解ではないはず。
▲2011年USオープン準決勝。マッチポイントからジョコビッチに煽られた上敗北した。
動画を観るとわかるのですが、、フェデラーめちゃ走っています。驚異的なランです。でもあまりのジョコビッチの気持ちの強さと勢い、ノリ、しつこさに敗北しました。
それまでがすごすぎただけだから、、ですが、2011年を象徴する負け方をしたニューヨーク戦をきっかけにフェデラーはさらなる強さを自らに求めるようになります。
「芝の王者帰還」:Prostaff six one 90
出典:ZINBIO
ラケットの変化
フェデラーは2012年に「Prostaff six one 90」にラケットを変更します。
「もっとフィーリングがほしい」ということで、グリップ内部までBLXを搭載した「アンプリフィール」になり、打感も少し柔らかくなったらしいですが、中身的には2002年から使っているラケットをベースにちょこちょこマイナーチェンジしている感じですね。
2012年 プレースタイルの変化(2011年と比較して)
2011年はフェデラーの中ではわりと「フラット目に重い球をベースラインから打っていく」というストロークを中心としたプレーでしたが、2012年は前年よりもスピン量を意図的に増やした感じに見受けられました。
一言で言い表すならば「柔」であり、「様々な配球(高低、左右、前後)を速いテンポのラリーの中で使っていく」という意思が伝わってくるプレーでした。
ナダル以外に対してもスライスがジリ貧になるのでなるべく使わないようにもしていましたね。
ナダル戦だけでいっても「伝説の試合」となった2017年全豪での「対ナダル戦略」の伏線となる、「ナダルのバックハンドをフォアのクロスとバックのダウンザラインで集中攻撃して、最後フォア側へ打つ」という戦略をわりとこの年(特に全豪2012)は実行できていました。
これでもう少しバックをフラットに打ち抜けていたら、、、もう「2017年のネオバックハンド」ですよ。
2013年 怪我とラケット模索
2013年は2012年に無理をしていたのも出て完全に腰〜背中を負傷しました。
2012年のロンドンオリンピックでシングルスの金メダルが取れなかったのがきっかけで、ラケット変更を決意、2012年年末や2013年ウィンブルドン〜シンシナティの間でBLADE系の黒塗りラケットを試打します。
フェデラー的はプ2013年は怪我でほとんど練習できず、芝シーズン前後はかなりプレーの質が落ちていました。
ウィンブルドン2回戦敗退など本人的にも許容しがたいかなりしんどい状態だったのですが、ここで諦めて引退しなかったのが本当にすごいです。
後の話ですが、2013年苦杯をなめつつも、「変化」することを許容したため、フェデラーは30代でもう一度トップ3に返り咲くことができます。
「現役続行表明」: PROSTAFF RF97
出典:tennis World
フェデラーの強みは「変化」を受け入れられることで、少しでも長くプレーできることを最大限に望んだ彼の意思が、31歳でのラケットチェンジを受け入れることにつながりました。
「RF97」を購入したい場合は?
なお、フェデラーのストリングステンションが48/45という記事がネット上に未だに多いですがそれは90インチ時代のものです。
97インチにしてからは56Pほどあります。
ここでは、2014〜2018年のフェデラーを簡単に振り返ってみましょう。
2014:「変化の迎合」
この年は何と言っても2013年の「テニスが練習できない」苦しみを乗り越え、面の大きいラケットに変更し、エドバーグと組んで「サーブ&ボレー」というフェデラーにとっての「原点回帰」を試みた年でした。
全豪2014などでは、もはや「3セットのうちに50回くらい」ネットに出るような、やりすぎだろ、、とも思えるくらいネットを取っていましたが、とはいえフェデラーの試合時間短縮には大きく貢献しました。
ウィンブルドン2014でも、結果的に決勝でジョコビッチに負けましたが、「マッチポイントをサービスエース2本でしのぎ、さらにはブレークまでしてしまう」という人間離れた集中力を見せました。
▲ウィンブルドン2014決勝のハイライト。第4セット目終盤で見せたフェデラーのプレーには誰もが「まだロジャーは戦える」という可能性を感じたであろう。
「目つき」も2006、7、8年の頃は「とげとげしい」という感じでしたが、徐々に「まだテニスをプレーできることがありがたい」という感じで目つきもずいぶん優しくなりました。
2015:「ライバルはジョコビッチだけ」
フェデラーはグランドスラムの決勝までは圧倒的な強さで完勝するも、各サーフェスジョコビッチに負ける。ということを繰り返していました。
2014ウィンブルドンに続き、2015ウィンブルドン、2015USオープン、2016全豪(これは準決勝)という感じです。
2016:「今度こそマジで終わった・・・」全英ラオニッチ戦
2016年は年始から膝の半月板を損傷、手術したりで、2013年に続き満足なプレーができませんでした。
手術の影響でフレンチオープンは欠場。
なんとか出場したウィンブルドンでも、ラオニッチ戦で激しく転倒し、芝に仰向けに倒れしばらく立ち上がれなかったフェデラーに世界中のファンは「もう2度とロジャーのプレーを拝めないかも」と、悲観的にならざるを得ない状況でした。
結果、2016年はシーズン後半の試合を「すべて欠場」することを表明。この年のフェデラーは4大大会は全豪と全英の2大会しか出場すらできない惨劇でした。誰にが「栄枯盛衰、フェデラーのテニスにも終わる時が来る」ことを現実的に目の当たりにしました。
2017:「LEDENDS NEVER DIE」
ヴェルベットコーティングが施され、漆黒になった「RF97 2017モデル」は2016年後半に公開されましたが、とはいえプレーできていないフェデラーの様子は、「まさに引退前『プロスタッフツアー90を』公表するも使用せず引退したサンプラス」のフラグにしかファンには見えませんでした。
が、さすがは先人の失敗から学ぶフェデラー。半年ぶりに全豪オープンにてATPツアーに帰還しました。
ですが、このグランドスラム復帰戦となった「全豪2017」にてフェデラーはテニスの歴史を変えてしまいます。
なんと休養中にみっちりバックハンドを集中強化してきたようで、この「ネオバックハンド」と呼ばれる高打点・フラットなバックハンドがライジングでバシバシ決まる。
結局、錦織戦やスタン・ワウリンカ戦でフルセットになるも、「フェデラーがフルセットを2回乗り越えて」宿敵ナダルの待つ全豪の決勝戦にたどり着きます。
「フェデラーにはフルセットまで行けば勝てる」感が2012年ごろからツアーの中で漂っていたので、このフルセットを2回戦ってもまだ限界を迎えない体力と気力にファンはただただ驚くばかりでした。
全豪のほか3月のマスターズを2週連続とる「サンシャイン・ダブル」を成し遂げるなど、、とにかく2017年前半のフェデラーは「とにかくベースラインから下がらないテニス」で好調でした。
2012年から2014、15とどんなに頑張っても取れないグランドスラムタイトルをこの年はジョコビッチが宗教にハマっている間に2タイトル獲得しました。
2018:「超高速テニス」
2017年から続く好調はまだ維持していて、とにかくベースラインから下がらないです。
とにかくコートの中へ、中へ。リターンでもストロークでも隙あらば前へ。
「打った直後の戻り」がとにかく早くなっていて、まだ進化しています。
97インチにしてからサーブの配給と精度が格段に向上し、しかもどんなに攻めてもより時間を奪われる返し方をされてしまうので、もはやこれはフェデラーおじさんにしかできない時ギュ術ですが、もはや「達人」ですよね。
2017、18とわりとサーフェスが速めだったことも手伝い、フェデラーは全豪を2連覇します。
2018年末〜2019年頭:「テニス達人の今後は?」
僕はここ半年くらいのフェデラーのプレーをまた少し心配しています。
スライスのペースがうまくて、多用したくなるのもわかるのですが、あまりにバックハンドのフラットで打ってないですのが意図的なのかわざとではないのかわからないですが、不安要素です。
サーブはgoodですが、動きも前よりももさくなってきている感じがあります。わりと全豪2019年チチパス戦なんかにもその差が結果として出てしまっている感じで先行きが少し心配です。
とはいえ、まだ2019年も始まったばかりなので、きっとフェデラーはまたグランドスラムを取ってくれるでしょう。怪我さえしなければ、ジョコビッチ次第でもありますが、可能性があると考えています。
2018年末もパリのジョコビッチ戦ではフルセットまで善戦し、可能性を感じました。大2セットはジョコビッチ相手にフォアハンドを集中攻撃していましたからね。
とても長い記事となりましたが、やっと現在まで追いつきました。
今回は以上ですが、いかがだったでしょうか。
1記事でフェデラーのプロ転向後の20年を追ってみたので、ボリューミーだったですが、プレーや時代背景などの変化もよく伝わったかなと思います。
フェデラー関係の記事も置いておきます。
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